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「ロッキー・ザ・ファイナル」(その1) [映画(2007)]

ボクシングが好きで、以前はよく後楽園ホールに出掛けて観戦していた。どちらかと言えば、僕は大人しい人間なので、殴り合いの喧嘩もした記憶が無い。それなのに何でボクシングに惹かれるかと問われても、自分でもよく分からないのだが、もしかしたらボクシングそのものだけではなく、それを取り巻くものまで含めた雰囲気が好きなのかもしれない。眩いくらいのカクテルライトに照らし出されたリング。しかしそこに立つのはほんの一瞬の出来事でしかない。その裏にある極めて地味で泥臭い人間ドラマ。まさにハレとケ。しかもボクサーの場合、毎日試合という訳にはいかないので、ケの部分が生活の大半である。だから、とは言い切れないが、ボクサーは淋しい目をしている人が多い。

そういった意味では、シルベスタ・スタローンの目も実に淋しげだ。体型や雰囲気で豪快な人だと思いがちだが、実は繊細で孤独を抱えた人なのではないか。だから『ロッキー』にはボクシングのリアリティが他の作品より感じられ、特に1作目は名作と成り得たのだと思う。

ロッキー〈特別編〉思えば『ロッキー』1作目は実に地味な映画だった。売れない貧乏役者のスタローンが自ら書いたシナリオを基に創られたこの映画の殆どは、地方の3流ボクサーであるロッキーの孤独とささやかな恋物語を綴った作品である。これはケの部分で、カメラが切り取った映像も、それに合わせて夜か、寒々とした曇天模様のフィラデルフィアの街を捉えている。そして後半、試合に向けてロッキーが始動するところから晴れやかなテーマ曲が始まり、主人公も観客もハレに向けて一気に感情が高まっていくという、実に上手い創りになっている。

1作目の地味ながら深い味わいの作品から『2』『3』『4』と回を重ねる毎に派手になっていき、僕は『3』くらいで呆れ果て、このシリーズを見捨てたものだが、公開当時は「これが最後」というふれ込みだった『5』で原点回帰を見せてくれて、これは結構気に入ったのだが、今回また最終話が創られたと聞いた時は心の底から呆れ果て、無視することにしていた。

だいたいシリーズ物なんて1作目で殆ど良いアイディアは出し尽くされ(だからこそ名作となるのだが)、2作目からは映画会社の意向を受けた余談でしかないと常々思っている。この『ロッキー』シリーズも然り。商売っ気丸出しで、派手だが薄っぺらな何作かは醜悪でしかない。それは1作目の素晴らしさを汚すものでしかなかった。

しかし、ラストのつもりだった『5』で作家としての魂が戻ったのか、『1』の世界観を引き継いだ作品を久々に見せてピリオドを打った―――と思ったら、再びの『ファイナル』である。もう馬鹿馬鹿しいとしか思えなかったものだが、どうも本国でも日本でも僕の予想とは違った好意的な声が聞こえてくる。かなり疑心暗鬼ではあったが、だんだんと気になってきたので、思い切って(?)この『ロッキー・ザ・ファイナル』を観ることにした!  (つづく)

 


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アートフル ドジャー

スタローン=ロッキー。アメリカ人はそ~う思ってる。彼には酷な現実ですがそっれが現実に思う。1・.2は好き!でした。3~は丹下さんが言うよ~な映画会社の意向って言うか、商売の為に無理やり作った感が否めません
by アートフル ドジャー (2007-05-03 09:19) 

丹下段平

まぁ、スタローン=ロッキーってのはどうしようもない事実ですね。僕もそう思う。スタローン=ランボーじゃないんですよね。
by 丹下段平 (2007-05-03 15:52) 

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